創業者が65年かけて作った600店の洋菓子チェーン顧客第一の“三喜経営”でグループ年商800億円/シャトレーゼ  齊藤 寛 会長【前編】

最終更新: 8月28日

シャトレーゼホールディングス(山梨県甲府市)

齊藤 寛 会長

山梨県のブドウ農家で生まれた一人の男が、65年の歳月をかけて一大洋菓子チェーンを築き上げた。「シャトレーゼ」。国内・海外を合わせて約600店を展開する同社のビジネスモデルは、スイーツのSPA(製造小売)だ。しかも契約農家から材料を直接仕入れてから自社工場で製造するという、一気通貫が特徴だ。幾多の苦難を、卓抜なアイデアと行動力で乗り越えてきた同社の創業者、齊藤寛会長の軌跡を追った

(※2020年10月「Top Interview」より)

齊藤 寛 会長(86)

Profile さいとう・ひろし

1934年、山梨県出身。山梨県立日川高校を卒業。54年に甘太郎を設立。67年、甘太郎と64年に設立した大和アイスを合併してシャトレーゼを設立し、代表取締役に就任。2018年から現職。

新型コロナウイルスの流行で多くのスイーツ店が経営危機に直面する中、シャトレーゼは「コロナなどどこ吹く風」と言わんばかりに、一人勝ち状態で業績を伸ばし続けている。今期のここまでの売上は、前年対比150%近くで推移。国内店舗数は、フランチャイズ490店を含め530店舗。海外でも60店舗を展開している。


── 一連のコロナ騒動で多くのスイーツ店が業績を落とす中で、御社は好調だと聞いています。緊急事態宣言の最中ですら、多くの方がケーキやお菓子を買いに店舗を訪れていたようですね。

齊藤 「シャトレーゼ」は郊外を中心に展開している洋菓子チェーンです。そのほとんどは自前の店舗ですので、デパートや百貨店の中に出店している洋菓子店と異なり、緊急事態

宣言が出ている間も自分たちの判断で営業を続けることができました。

もちろん、万全の感染対策をした上でのことです。甘いものが食べたくなってもほかに買うところがないのだから、お客様は自然とうちに集まってきます。もちろん、良い商品を売っていることが前提ですが、自前の店舗を持っている強みが発揮されたと言えるでしょう。

──昨年度の年商はシャトレーゼ単体で約600億円、グループ全体では約800億円ありました。現状を見る限り、今期も業績は伸びそうですね。

齊藤 今回はたまたま新型コロナが追い風となりましたが、それとは関係なく、このままいけばあと2、3年のうちに1000億円を達成する見込みです。

──海外展開にも精力的に取り組んでおられ、すでにシンガポールや香港など、9つの国と地域に進出されています。


齊藤 アジア諸国の平均年齢は、日本と比べると非常に若い。たとえばフィリピンは23歳ですし、インドネシアは29歳です。つまり、これから子どもを産む世代が非常に多いということです。これは我々にとっては非常に魅力的です。このまま出店を続けていけば、おそらく5、6年後には日本の売上を抜くかもしれません。


▲郊外を中心に国内530店舗、海外でも60店舗の展開

今から66年前の昭和29年に、山梨県甲府市で今川焼風菓子の販売店「甘太郎」から始まったというシャトレーゼ。以降、アイスクリームやシュークリームなどの開発・販売を経て工場直売に乗り出し、スイーツ業界最大級の直販チェーンへと成長を果たした。順風満帆の道のりのようにも見えるが、実際は苦難の連続だったという。

──ご実家はブドウ農家で、会長ご自身も最初は農園をやるつもりだったそうですね。

齊藤 日本一の農園をやるつもりでした。ところが20歳の時、弟がやっていたお菓子屋がどうも上手くいってなかったことから、これを手伝うことになったのです。甲府に出店した「甘太郎」は、今川焼き風菓子の実演販売で当たり、瞬く間に人気店となりました。

──10年経って30歳になった頃、「大和アイス」を設立し、勝沼に工場を作ってアイスクリームの製造に乗り出しました。しかしこれは思ったようにはいかず、大変苦労されたようですね。

齊藤 焼き菓子は冬にはよく売れるのですが、夏はほとんど売れない。だから売上が安定しないんです。それでどうしようかと考えて、アイスクリームに目を付けました。ところがせっかく商品を作ったのに、それを置いてくれるところがなかなか見つかりませんでした。すでにどこの店も大手メーカーと契約してしまっていたんですね。本当に苦労しました。結局、本社工場を作るまでの20年間、アイスの製造は一度も黒字になることはありませんでした。

──しばらくして今度はシュークリームの製造に乗り出しています。これが一つの転機となり、伸び悩んでいた売上も一気に増えました。

齊藤 アイスの売上そのものはダメでしたが、製造を通じて工業生産や衛生管理の技術を学ぶことができたのです。これを活かして、大手にできないことをやろうと考え、それでシュークリームの製造を始めました。シュークリームは傷みやすいので、計画生産、計画販売の大手はやらなかったんですね。ところが、これも最初はうまくいきませんでした。というのも、当時はまだコンビニがありませんでしたから、商品を卸す先はお菓子屋さんや食料品店、八百屋や雑貨店などになるわけです。しかし、どこも冷蔵する設備がないから扱いたがらない。うちのシュークリームは衛生的でほとんど菌がいないので、常温でも2日くらいは平気でもつのですが、それでもダメでした。

──普通ならそこでやめてしまいそうなものですが、齊藤会長は諦めなかった。

齊藤 冷蔵ケースがないなら、なくても売れる方法を考えれば良い。それで1個50円

のものを10円で売ったわけです。これが見事に大当たりしました。

10円シュークリームが大ヒットした同社。その後も様々な洋菓子を開発して取引先を増やし、創業から30年目の昭和59年には、年商は48億円に到達した。この時50歳で、経営者として脂の乗りきっていた齊藤会長は、年商を上回る50億円を投じて、本社工場を建設する一大決心をした。ところが好事魔多し。その矢先、数々の不幸が立て続けに同社を襲ったのだった。


── 本社工場を建設したまさかのそのタイミングで、大きな危機に見舞われたそうですね。

齊藤 神様は本当に色々な試練を与えてくれました。まずは新工場建設中に、失火が原因で勝沼の工場が全焼してしまい、取引先に商品を卸せない事態に陥ってしまったのです。何とか急ピッチで新工場の稼働にこぎつけたものの、混乱の最中に納入先の売場をライバル店に取られてしまい、営業面ではかなりのダメージを受けました。しかも不運は重なるもので、工場が完成してから2年ほどした頃に、営業本部長で私の右腕だった弟と工場長が相次いで病死し、さらに経理を任せていた妹も病気治療のために現場を離れることになってしまったのです。ほかに2人いた幹部も揃って辞めてしまい、私だけが一人取り残されました。あの時は精神的にも肉体的にも、相当追い詰められました。

── 多くの売り場を失って途方に暮れている中、窮余の策で工場直売をするための店舗を作られました。

齊藤 スーパー関係の売り場が減ってしまったわけだから、それをどこかで補わなければならない。それで、一般消費者に直接販売するための実験店を作りました。甲府郊外の田んぼだらけの場所です。しかし、ここでスーパーへの卸値と同じ値段で販売したところ、たちまち黒山の人だかりができるようになり、店は大繁盛しました。ちょうど2ドアの冷凍冷蔵庫が出始めた頃で、どこのご家庭でも中に何を入れようかと色々と悩んでいたんですね。うちの商品は安全でリーズナブルなのが特徴ですから、これがものすごく主婦に受けたのです。

▲直売を行うために出店した郊外1号店

──「シャトレーゼ」の強みである工場直売のビジネスモデルは、この時生み出されたわけですね。


齊藤 これはスーパーの売り場がどうのこうのと言っている場合ではないと思い、すぐに千葉にある子会社に指示し、16号線の脇に新店をオープンさせました。道にはトラックがたくさん走っていて誰も売れるなんて考えないような場所でしたが、やってみたらひっきりなしにお客様が来ました。噂を聞きつけた森永やロッテといった菓子メーカーも次々に視察に訪れましたよ。このビジネスモデルならいけると思い、以降、直営とフランチャイズの両輪で店舗を増やしていくことになります。


(後編へ続く)


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