【アービング】家電FCからリユースFCへの大転換で成功
公開日:2025.10.24
最終更新日:2025.10.10
※以下はビジネスチャンス2025年10月号から抜粋した記事で、内容は取材時の情報です。
年商16.5億円で経常利益は15%
本州西端の山口県と日本海側の鳥取県の2県で、リユースチェーン・ハードオフとブックオフのFCとして、9拠点18店舗を運営しているのがアービング(山口県山口市)だ。ハードオフの加盟店には元家電店が多いが、同社も街の電気屋からのスタート。大手家電チェーンのFC店になっていた時期もあったが、ずっと経営は厳しかったという。今から25年前の平成12年(2000年)、新品家電販売からリユースへの事業転換を決断。その後、店舗を増やして売上も伸び大きく成長した。キャッシュフローも改善し、今では安定した利益をあげている。フランチャイジー歴延べ約30年に及ぶ、同社の歴史を辿る。
有名テナントの中にリユース大型店
三方を海で囲まれた山口県は、主要都市はいずれも海岸に面して立地している。その中で、山口市は内陸部の県の中心にある。人口は18万人と県庁所在地にしては少ないが、昨年にはニューヨークタイムズ紙が「世界の行くべき都市」の1つに選ぶなど、暮らしやすい町として知られる。
その山口市の中心部から車で約10分、地元の買い物客で賑わうショッピングモール「ゆめタウン山口」。1階にワンフロア400坪の大型リユースショップがある。「ハードオフ」「オフハウス」「ホビーオフ」の3店が入るエコタウン山口ゆめタウン店だ。
モールの同じフロアには「無印良品」「JINS」「スターバックス」などの有名ブランドもテナント入りしている中で、一際広いスペースを占めるのが同店だ。この店こそ、年間の売上げが4億円を超す同社の旗艦店だ。繁光哲雄社長が話す。
「ここはもともと、当社が大手家電のFC店をやっていた時から入っている店です。リユースに切り替えて25年。現在は、県内ではここのほかに周南、宇部、下関など。それに鳥取にも店があり、リユース全体で売上は16億5000万円です。リユース事業単体では経常利益は%。家電の時はいつも赤字スレスレで、2%でも出ればと思っていましたから全然いいですね。もっとも本部の山本会長には20%やれって言われますが(笑)」

山口県と鳥取県の主要エリアで展開
街の電気屋から大手家電FCに
同社のルーツは、繁光社長の父親が山口市で始めた街の電気屋がスタートだ。アーケード商店街の店で、地元密着で堅実なはずだったが、実態は厳しかったという。「私は長男ですが、全く商売には興味がなくて、東京の大学を卒業してそのまま東京で働いていました。ところが私が歳手前だったから、昭和54〜55年ごろだったかな。父から電話があって、『倒産しそうだ。帰って来い。何とかしろ』というわけです」(繁光社長)
それまで家業とはいえ、商売を辞めるつもりなどなかった繁光氏がまず取り組んだのが、簿記の勉強だった。専門書を買って独学で学び、それから会社の決算書を見て経営状態を分析した。その結果、見えてきたのは、キャッシュの流れの悪さだった。
店は60坪と個人店にしては大きく、売上も2億円近くあったという。しかも県庁所在地なので、県庁や県警本部の役人が主なお客で、一見すると客筋も良いように見えた。
ところが実際には“ツケ”による売り掛けが多く、回収不能も結構あったという。メーカーの商品仕入れも常に欠かせないが、支払いは手形だ。苦しいと“ジャンプ”で凌ぐ状態で、店の資金繰りは常に火の車。実態としては、会社は2000万円を超す債務超過に陥っていた。
急遽家業に戻った繁光氏は、財務改善のため、当時はまだ珍しかったクレジット決済への切り替えを進めた。顧客からは当然嫌がられたし、営業社員からの反発もあった。しかし、やらざるを得なかった。
一方では、新商材としてビデオに力を入れようと思ったが、競合が多くて難しかった。そこで差別化としてソーラーやパソコンの扱いも始めるなど、色々チャレンジしてみた。だが、それも大した利益にはならず、債務は膨れる一方だった。
そしてとうとう、『1年後にはもう無理か』というところまで追い詰められた。コストを大幅に削減するため、7人いた社員に辞めてもらい、家族経営に縮小することも考えたという。しかし、それでも『保って3年か』というまさに瀬戸際だった。一家に残された選択肢は3つ。①廃業(=倒産)②縮小先送り③拡大成長への挑戦。当時社長だった繁光氏の父親と相談の結果、③を選んだ。
売上拡大のため、郊外型の大型店出店を図ることにした。そのために、大手家電チェーンのFCに参加することを決めた。

同社の旗艦店「エコタウン山口ゆめタウン店」は400坪の広さの大型店
『乗りかかった船だと』運良く
当時は家電店のFCやVCが各地で展開を拡げていた時期で、その中から、自社の経営に合っていそうな本部を選んだ。
ところが、このFC加盟は出足から大きくつまづいてしまったという。
「この会社でFCはウチが第1号。しかも、オーナー社長の一存でFC展開を決めたものの、現場は直営展開したいので、実は心中では大反対なんです。それで本部に行っても部長たちはヘソを曲げてしまって、何にも協力してくれませんでした(苦笑)」(繁光社長)
だが、同社としては今さら後戻りはできない。このまま現状維持を図っていたのでは、キャッシュアウトしてしまうことが明白だったからだ。とにかく取り組まないといけないのは、ロードサイドの郊外型店の出店だった。地元で地理感もあるので、場所は見つけられた。土地は680坪で建物は260坪の設計だった。しかし無いのは資金だ。見積った移転費用はざっと2億円。もちろん、当時の同社にそんな金がある訳はない。正直「無理だろう」と思いながら、銀行に相談に行った。ところが、思いがけなくOKが出てしまったという。
「本当に運が良かったんですが、当時の支店長が大変積極的な方だったんです。実はその方はのちに頭取になられたんですが、この方に出会えてなければ無理だったでしょうね」
しかし、話はこれで決着ではなかった。いざ、土地を借りて店を建てようかという段になって、突然、地主が「貸すのは嫌だ。店を出したいなら土地を買ってくれ」と言い出したのだ。実はこの土地は農地だった場所で、地権者が5人いたのだ。その5人の話がなかなかまとまらず、挙句の果てには高値での買い取り要求になったのだ。当時はバブル景気の頃で、土地代は高く3億円。移転費用は一気に5億円にまで膨れ上がった。さすがに“万事休す”かと思われたが…。
「支店長に、『実はこんなことになりました』と説明したら、『乗り掛かった船だ。やるしかないだろう』と言っていただきました」(繁光社長)
こうして郊外型店は無事にオープンし、同社はなんとかギリギリのタイミングで危機を乗り切った。


大手家電FCに加盟してオープンした郊外型1号店(左)。現在はブックオフを経営している(右)
突然の本部の方針変更
郊外型1号店は、開業2年目には単年度黒字化を達成。銀行からはさらに追加の融資も取りつけられるまでになった。
これで弾みをつけた同社は、3年後には県内の小郡に、より大型の300坪の2号店を出店。さらに平成10年には、ゆめタウンのオープンに伴い、1号店の山口店を移転して一気に大型化。2店合わせて売り場700坪、売上は8億円と、個人店時代に比べると売り場面積は10倍、売上は4倍の規模に成長していた。もちろん借入金は増えていたが、単年黒字は達成しており、このまま家電FCを続けていくはずだった。
ところがここでまた危機が訪れた。関東拠点の家電最大手企業が中国地方に進出。こともあろうか、同社の店舗のすぐそばに1000坪の巨大店舗を出店してきたのだ。同社の山口店の売上はたちまち3割減にまで落ちてしまったのだ。
もっともそのダメージ自体より、さらに大きく経営の根幹を揺るがす事態が発生したという。加盟していたFC本部の突然の方針大変更だった。
「本部が“安値宣言”を出したんです。販売価格を大きく下げて、その分粗利も下げると。しかし、私はそれを聞いた瞬間『無理だな』と思ったんです。当時加盟していた家電企業は、もともとアフターケアを売り物にしており、その分、固定比率が高かったからです」(繁光社長)
当時の家電業界は、大手企業主導による大型店化と安値競争が急速に進み出していた。加盟していたFC本部の突然の方針変更もまさにその波によるものだったが、地方の中小企業である同社が、その波の中に入っていくのはあまりにもリスキーだった。

宇部店
「このままでは将来が見えない」と〝家電撤退〟を決断
偶然に届いた「業態変更」の知らせ
思い返せば、東京で働いていた30歳手前の頃に突然父親から呼び戻され、以来、家業の電気屋を県内の有力店にまで伸ばして来た繁光社長だった。その間の20年、薄利の中で借入返済と資金繰りに追われなんとか繋いできたが、先行きの経営を考えた時、「このままで本当に良いのか」と考え込んでしまったという。
まさにそのタイミングで偶然届いたのが、知り合いの家電店仲間からの暑中見舞葉書に記された「ハードオフへの業態変更」の知らせだった。長年経営していた家電店を辞めて、当時展開を始めて間もなかった「ハードオフ」のFCに加盟したという。
「ハードオフのことはその少し前に家電専門誌の記事で読んで知っていました。また、数年前に視察旅行で行ったアメリカで、中古品を扱う『ポーンショップ』を見て面白いな、と感じたことも思い出したんです。それでいてもたってもいられず、まず家電店仲間の店を見せてもらい、さらにハードオフ本部の山本社長(当時)を紹介してもらって、新潟まで行きました。話を聞いて、こんなに将来性があって、しかも後ろめたさが全くない業態はないと確信し、加盟を即決しました」(繁光社長)
その頃の同社の経営状態は良好で黒字だった。普通に考えれば当面、今の状態を続けることもできたはず。しかし、繁光社長は「このままでは将来が見えない」と〝家電撤退〟を決めたという。平成12年のことだった。
銀行には「好きなようにしてくれ」
決断してからの行動は早く、一気に2店舗を家電からリユースに切り替えた。ただ難色を示したのは、取引先の銀行だった。新任の担当者は以前の支店長とは大違いの保守的な人物で、「中古屋だと。そんなゴミ屋なんかに貸す金はない」ぐらいのことも言われたという。
「当時は今と違って、リユースなんて言葉も知られていませんでしたからね。銀行に対しては『1年待って、それで赤字になるようなら好きなようにしてくれ』って心境でしたね(笑)」
それまでの積極的な出店投資によって、借り入れは膨らんでいた。ただ幸い、家電の在庫一掃セールで新装開店資金は捻出できたので、新規借入はせずに済んだという。
それでもさすがに初年度は苦しかったというが、2年目には完全黒字化。これで銀行の信用も取り戻せた。そして、その翌年には下関、さらに長府、宇部と続けざまに出店攻勢をかけていった。
思いがけない〝出店〟は、飛び地の鳥取県だ。実は同社がハードオフへの加盟を決めるキッカケを作った加盟店が鳥取で運営していたが、その後経営が苦しくなり、オーナーも引退するとのことで、営業権を引き継ぐことになったのだ。

周南秋月店
助けてくれる人に出会い運が良かった
現在、同社の従業員は正社員40人、パートアルバイトを合わせると190人。経営陣は繁光社長と13歳年下の弟専務の兄弟2人体制でやっているが、事業承継と後継に向けた手も着々と打ってきているという。
「2021年にホールディング会社化しました。私も弟も子供は娘たちなので、私たちは経営に関する決定権が持てる黄金株だけ持って、あとは娘たちに株式を持たせました。次は後継者ですね。ここまでは比較的上手くいってるかなと思います。しかし、これまでは運が良かったと思います。何かあると助けてくれる人が出てきたんです。実は以前加盟していた家電FCですが、私が辞める決断することになったあの〝安値宣言〟、その後すぐに撤回しているんです。あれが出なければ、そのまま家電を続けていたかもしれないので、これまたラッキーだったかなと(笑)。それでハードオフへの業態変更を決断できたんですからね」(繁光社長)
アービング
(山口県山口市)
繁光 哲雄社長(左)
繁光 英雄専務(右)
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