【ヤチヨ 】従業員3人から地元・横須賀の有力企業に

公開日:2025.12.15

最終更新日:2025.12.09

※以下はビジネスチャンス2025年12月号から抜粋した記事で、内容は取材時の情報です。

食品卸から飲食・FCへと新分野に挑戦しグループ年商80億円を達成

 1983年に横須賀で設立されたヤチヨは、祖業の斜陽化や飲食事業での失敗を経ながらもその度に事業転換を図り、現在では年商80億円のグループ企業へと成長を遂げた。「失敗から逃げてきただけ」と語る鈴木社長だが、常に新たな領域に飛び込むその姿勢が、同社の成長の原動力となっている。突然の社長抜擢から、右も左も分からず、その度に選択と決断を強いられた過去。そして現在に至るまでの軌跡を追った。

ヤチヨ単体で年商49億円 食品卸売とFCの2軸経営

 ヤチヨは食品卸売事業とフランチャイズ事業を2本柱としており、2025年5月期の年商は49億円だ。
 食品卸売事業はそのうちの29億円を誇る同社の主要事業である。同事業は「業務用食材事業」「リクエ事業」「特産品OEM事業」の3つに分類されており、醤油やマヨネーズ、油や冷凍食品などの卸売りを行う業務用食材事業は年商15億円。また、三菱食品が手掛ける業務用食材・資材の配送サービスであるリクエ事業は10億円。そして年間100万食近くを販売する「よこすか海軍カレー」を代表とした、地域特産品の卸売りを行う特産品OEM事業が4億円。
 一方、フランチャイズ事業は年商20億円の規模で、「タリーズコーヒー」を13店舗、「シャトレーゼ」を2店舗、「シューラルー」を3店舗、「ドクターマーチン」を3店舗の計21店舗を運営中だ。
 そのほかにも、グループ企業12社と関連企業3社の計16社でグループを形成しており、そこでは、「ゴンチャ」や「フタバフルーツパーラー」、「宮越屋珈琲」など、FC店舗を運営している。
 これらを含めると、ヤチヨグループ全体ではフランチャイズ35店舗を展開。グループ全体の年商は80億円を記録している。

叔父の製麺業を引き継ぐ斜陽化迎え食品卸売業へ

 現在では、横須賀を代表する1社となった同社だが、ここに至るまでにはさまざまな紆余曲折を経ている。同社のルーツは、1983年に鈴木社長の叔父が営んでいた「八千代製麺」だ。いわゆる「街の製麺屋さん」という形で、地元のスーパーに麵を卸していた。当時、サラリーマンとしてナムコ(現:バンダイナムコ)で働いていた鈴木青年だが、製麺業が忙しくなった叔父から頼まれ、同社に入社。ただ早々に大手スーパーチェーンが台頭するようになり、製麺事業は斜陽化。一方、日々の麺の納品時についでで頼まれた醤油やお味噌といった食材の提供に商機を感じ、業態を現在の主業である食品卸売業に転換している。
 しかし事態が改善する訳ではなく、従業員3人の家族経営で細々とやり繰りを続けていた。そしてそんな生活が2年ほど続いたある日、またしても大きな転換が訪れる。社長就任の打診だ。
「叔父が急に社長を辞めると言い出して(笑)。理由は今でも分からないのですが、叔父はもともと和食の珍味みたいなものが好きで、お味噌やマヨネーズといった一般食材よりそっちをやりたかったんじゃないのかと思います(笑)」
 この時、鈴木氏は26歳。家業を守るためにネクタイ姿で飲食店に飛び込み営業を行うところから、社長のキャリアはスタートした。

飲食業進出で2億円の借金 「繁盛しても赤字」の連続

 突然の社長就任だった鈴木氏だが、当時から事業拡大には貪欲だった。本業のかたわら新たな事業のタネを探し続けていた30代半ばの頃、身近な出来事がきっかけとなった。取引先の知人が新築するビルのテナント探しの依頼を受けたのだった。取引先の希望は飲食店。ひとまずシェフは見つかったもののオーナーがなかなか見つからず、結果的にそのシェフから「鈴木さんがオーナーになれば」と打診されることに。当時は本業の食品卸も調子が良く、銀行からの融資提案もあったため、イタリアンレストランをオープンすることにした。
 しかし、これが失敗の始まりだった。イタリアンレストランは繁盛したものの、忙しさで人件費が嵩み業績は大赤字。そんな状況で「もう1店出すと人件費が半分になるから儲かる」という助言を受け、2店舗、3店舗と次々レストランを開業した。しかしどの店も繁盛はするものの、こだわりが強い料理人を雇ったため人件費が上がり、赤字は解消されなかった。
 そしてそんな折、近隣の横浜で新設される「横浜カレーミュージアム」の立ち上げ計画が上がり、同社にも出店依頼が舞い込んだ。「これはチャンスだ!」と思った鈴木社長は出店を決める。これが吉と出て、オープンと同時に同社の店舗には大行列ができ、一躍人気店に。カレーのルーを既存のレストランで作っていたがそれでは追いつかず、喫茶店跡地を改装して、セントラルキッチンを作るほどだった。
 ところがそんな勢いも徐々になくなり、オープンから1年半もすると客足が減少。結果的に契約期間の2年で撤退を決断せざるを得なくなった。
「他の店舗は残っていたようですが、うちはスパッと辞めました。セントラルキッチンに投資した額は全然回収できませんでしたね。一連のレストラン事業では最盛期で5店舗まで増えましたが、借り入れも膨れ上がっていました。7行から合計3億円近く借りていたんじゃないかな。銀行は喜んでいましたけど(笑)」

「もう厨房調理は嫌だ」起死回生のFC加盟

 これ以上飲食事業に深入りすると本業まで危うくなると考えた鈴木社長は、レストラン事業の整理を決断。その最中に出会ったのが、ベンチャー・リンクから持ち込まれた「タリーズコーヒー」だった。
レストラン事業で大失敗をした鈴木社長にとって、厨房で調理したものを提供する飲食業はもはやトラウマとなっていた。しかし、タリーズコーヒーは本格的な調理を必要としない。「これならいける!」と感じた鈴木社長は、タリーズコーヒーに起死回生の望みをかけ、なんとか銀行からも融資を引き出すことに成功。2003年の1号店オープンにこぎ着けた。
 当時のタリーズコーヒーはまさに絶好調の最中にあり、1号店、2号店と順調な滑り出しを見せた。そして3店舗目で大きな賭けに出る。 
 3店舗目の出店地として本部から提案されたのは、横浜市のあざみ野駅。同駅は渋谷と横浜を結び、東急田園都市線と横浜市営地下鉄ブルーラインの2線が乗り入れるターミナル駅だ。実は既に、あざみ野駅近隣の団地内に書店とコラボしたタリーズコーヒーの直営店があり、同店は非常に繁盛していた。そして本部からの提案は、「この直営店を簿価で譲渡するので、あざみ野駅に新設する店をオープンして欲しい」というものだった。
 だが、提示された新店の家賃は160万円。悩みに悩んだ結果、鈴木社長は出店を決意する。そしてふたを開けてみると、同店は初月から1500万円を売り上げた。勝負ありである。
 同店の出店を成功させた結果、以後、商業施設を運営する三井不動産からじかに出店依頼の話が来るようになり、またそれまで難色を示していた金融機関も積極融資に応じるなど、増店できる環境が自然と出来上がっていった。こうして同社は、約5年間で一気に15店舗まで拡大していった。

#フランチャイズ
#ヤチヨ
#タリーズコーヒー
#シャトレーゼ
#シューラルー
#ドクターマーチン
#宮越屋珈琲
#ゴンチャ
#フタバフルーツパーラー
#よこすか海軍カレー

同社の飛躍のきっかけとなった「タリーズコーヒー東急あざみ野駅店」

小売業FC参入を機に 商業施設への出店を加速

 タリーズコーヒーで一気に事業を立て直した同社だが、それもつかの間、時代の流れと共に競合他社が増加し翳りが見え始めるようになる。そこで鈴木社長は次なる事業を考えるようになるのだが、目を付けたのが小売業への進出だった。2014年にシャトレーゼに加盟し、2店舗を出店。現在でも好調を維持している。また2022年には、食から離れてアパレルブランド「シューラルー」に加盟し、現在3店舗を展開している。
「グループ企業も含めて飲食FCで散々失敗してきたので、飲食はもうやりたくない。そうやって失敗から逃れようとしていたら、アパレルに行きついたんです(笑)。また商業施設内の立地ということもメリットでした。シューラルーは80坪ほどの店舗面積ですが、賃料比率は7~8%ほど。同じ飲食だと10%以上を超えてくるので、家賃比率が非常に低い。またもう1つのメリットとしては、売上金の管理です。当初のタリーズコーヒーでは路面店に出店することが多かったのですが、売上金が無くなるなどのトラブルを経験しました。しかし商業施設に出店した時からお金の管理がしっかりでき、両替などの手間も必要ない。またシューラルーは福岡でも出店していますが、商業施設の場合、遠隔でもお金の管理に不安がありません」
 そして直近では、2023年にシューズブランドの「ドクターマーチン」にも加盟。現在は愛媛と長崎、大分の商業施設に出店している。
「ドクターマーチンの強みはそのブランド力です。人材採用の際に求人を出したのですが、一度の店長募集だけで30人、アルバイトスタッフに関しては100人の応募がありました。実は長崎で出店する際、先に出店していた大分店のアルバイトスタッフが『僕が長崎に行きます』と志願し、社員になってくれました。彼らは『ヤチヨ』でなく、『ドクターマーチン』で働いているという意識が強いのだと思います」

#フランチャイズ
#ヤチヨ
#タリーズコーヒー
#シャトレーゼ
#シューラルー
#ドクターマーチン
#宮越屋珈琲
#ゴンチャ
#フタバフルーツパーラー
#よこすか海軍カレー

西日本を中心に3店舗を出店する「ドクターマーチン」

〝イチジュウ〟で事業を伸ばす「65歳までに売上100億円に」

 家業の手伝いとして入社してから38年間、さまざまなピンチを乗り越えてきた鈴木社長は来年1月に60歳を迎える。一つの区切りを迎えるタイミングだが、掲げる目標はまだまだ大きい。
「もともと叔父に声をかけられてスタートした会社がここまでになったんだから、自分でもよくやったなとは思っています。レストラン事業で大失敗して、お金がない時にタリーズコーヒーに加盟してあざみ野店も成功したけど、今思うとあの出店は賭けみたいなものですよ。若さという勢いがあったからできただけで、今なら怖くてできないかもしれない(笑)。僕はゼロから事業を立ち上げる“ゼロイチ”ができなくて、どちらかというと“イチジュウ”が得意なんです。なので65歳にグループで100億円を達成するため、今後も良いフランチャイズを見つけたら加盟して、広げていきたいですね」

#フランチャイズ
#ヤチヨ
#タリーズコーヒー
#シャトレーゼ
#シューラルー
#ドクターマーチン
#宮越屋珈琲
#ゴンチャ
#フタバフルーツパーラー
#よこすか海軍カレーヤチヨ
(神奈川県横須賀市)
鈴木 孝博社長(59)
Profile◉すずき・たかひろ
1966年1月、横須賀市生まれ。87年に叔父が経営する有限会社ヤチヨ商事(現:ヤチヨ)に入社。入社後、業務用食材卸売業に転換し、販路拡大に励む。92年に代表取締役に就任。2000年には洋食レストランを横須賀市内に出店。 03年からは、カフェ・サービス・保育事業に進出し、現在、日本全国にて展開。また並行して、99年からは横須賀市とともに「よこすか海軍カレー」の販売に取り組み、05年には地元企業から出資を募り、横須賀カレー本舗株式会社を設立。そのほか、横須賀市の民間事業者のまとめ役として、様々な地域貢献活動やまちづくり活動に取り組んでいる。

関連記事

【ルミネアソシエーツ】ルミネの戦略的子会社が運営するFC15店舗
【シャトレーゼ】コロナ禍で184%伸長した絶好調の菓子チェーン(前編)
【ゴンチャ ジャパン】日本上陸10年で176店舗まで拡大(前編)

 

次なる成長を目指す
すべての経営者を応援する
フランチャイズ業界の専門情報誌

フランチャイズ業界唯一の専門情報誌として、毎号さまざまな切り口をもとに新興本部から大手本部までをフォーカス。またFCを自社の新たな経営戦略として位置付け、中長期的な経営を目指す経営層に向け、メガフランチャイジーの情報も提供しています。

記事アクセスランキング
次なる成長を担うすべての起業家を応援する
起業&新規事業の専門情報誌

“起業のヒント” が毎号充実! “ビジネスチャンス” の宝庫です。
すぐにでも役立つ独業・開業・転業・副業サポートの雑誌です。
資金をかけずに始められる新しいビジネスの紹介、FC、経営・会社運営のノウハウなど、多くの経営者からの“起業のヒント”が毎号充実。

定期購読お申し込みはこちら