【浜松ホーエー】倒産危機からの起死回生となったハードオフ加盟

公開日:2025.06.17

最終更新日:2025.06.17

※以下はビジネスチャンス2025年6月号から抜粋した記事で、内容は取材時の情報です。

家電量販店からリユース業態への転換に成功

 浜松ホーエーは、静岡県浜松市を中心に「ハードオフ」「ブックオフ」「オフハウス」「ホビーオフ」などのリユース業態を多店舗展開している。この4業態を単独店と複合店のそれぞれで運営しており、現在13拠点で24店舗を展開中だ。同社はハードオフグループのFC加盟第1号企業で、同社の名倉哲郎会長の加盟希望をきっかけに、ハードオフグループ自体もFC展開をスタートしたと言われている。倒産危機の逆境から脱出した同社のこれまでの歴史、そして今後の展望について聞いた。

2度の倒産危機から復活

108坪の大型店舗出店が裏目 資金ショートの危機に

 同社は、1994年に全国でハードオフFC 1号店となる「ハードオフ浜松和知山店」を出店。以降、精力的にFC事業を展開し、多ブランドのリユース業態での出店を重ねてきた。現在は静岡県浜松市を中心に、静岡県西部や愛知県東部でハードオフ9店舗、ブックオフ7店舗、オフハウス4店舗、ホビーオフ4店舗の合計13拠点・24店舗を運営している。
 同社は名倉哲郎会長の父が1947年にラジオ店として創業。その後、家電量販店に成長し、1963年に日光電波という社名で法人設立された。家電量販店の多店舗化を図り、1977年には、浜松市の中心地のビル内に売場面積108坪の家電量販店を出店している。そのタイミングで、父から「戻って来い」と言われた名倉会長が同社に入社。大型店舗の運営であったため、既存店舗を閉め、人員を大型店舗に集中させるほどの力の入れようだったという。
 しかし、オープン前から予定していた資金が借りられず、また予想外の出費などが重なり、資金ショートをした状態での開業となった。当初の目論見としては、月商5000万円、年商6億円の売上を見込んでいたが、実際には月商2000万円を割ることもあったという。
「資金ショートのまま開業したその店舗は、予定していた売上も大きく下回り、資金繰りが何ともいきませんでした。開業1年半後には経営破綻寸前にまで追い込まれることに…。最終的には、当時加盟していた家電ボランタリーチェーン『中日電チェーン』の本部の方からのサポート受け、最悪の事態を免れました。しかし深刻な債務超過に陥り、倒産危機を招いた父に代わって、当時28歳だった私が1979年に社長に就任することになったのです」(名倉会長)
 名倉会長が社長に就任した際、同社の年商は3億円程度だったという。その後、名倉会長は会社再建のため奮闘し、1983年に当時東海地方で有力な家電FVC(FCとVCを兼ね備えたチェーン)の「豊栄家電グループ」に加盟。この加盟を機に、社名を日光電波から浜松ホーエーに変更している。加盟により経営が改善し、また景気も上向いていたことが手伝い、約10年をかけて債務超過の解消に至ったという。さらに日系ブラジル人を意識した免税店の展開を始め、これが好調だったこともあり、ピーク時で年商を19億円まで引き伸ばした。

基幹店舗の賃貸借契約が終了 売上半分超の店舗が閉店に

 大型店舗の出店により会社は大きく傾いたが、約10年をかけて同店舗の売上は増進。年商19億円のうち、同店舗単体で売上10億円を生み出すまでになっていた。だがそんな時、同店の賃貸借契約の終了通知が届く。
17年間の契約が切れ、さらに家主の事情により契約延長もできず、閉店を余儀なくされる。売上の半分以上を占めていた基幹店舗がなくなることにより、2度目の倒産危機が訪れることになる。
 大型店舗にはパートを含め、20名ほどの従業員が在籍しており、従業員の生活を守るためにも代替の事業を見つけることが必至だった。名倉会長は家電から逃れたい思いもあったため、家電以外の新たな柱となる事業を探し始めたという。
「電気屋は天気屋といわれるほど、天候に左右される商売です。天気ばかり気にしており、常にストレスにさらされていました。また、仕入れ額が非常に大きく、仕入れするのも大きな負担です。売れたら売上は上がりやすいですが、粗利率は低く、儲かりません。業績が良くなったとはいえ電気屋を続けることが苦しく、離れたいという思いがありました。そんな時に複数の情報誌で、新潟に中古で成功をしているハードオフという店舗があるということを見て、『これだ!』と思ったのです」(名倉会長)
 当時のハードオフコーポレーションは、オーディオ店からリユース事業に切り替え、1993年に新潟県紫竹山で「ハードオフ」を開業していた。その事業が好調だと名倉会長は耳にして、新潟に何度も足を運んだという。
「何度も店舗を偵察して、改めて『この事業だ!』と確信を得ました。創業者である山本善政会長にお会いできる機会をなんとか取り付け、こちらの誠意を見せようとスタッフも4、5名連れて行きました。しかし、加盟するお願いをすると断られてしまったのです。なぜなら、当時のハードオフは資金繰りが厳しく、他社の面倒を見る余裕がない状況だったそうです。しかし、当社としても基幹店舗の閉店が間近に迫っており、従業員の生活がかかっているため簡単には引き下がれません。どうにかして加盟するという熱意が通じたのか、次の面会時に加盟の許しを得ることができました。そして、初のFC店となるハードオフ浜松和知山店を1994年7月に開業したのです」(名倉会長)

リユース業への大転換

初出店で月商1000万円以上 将来性感じ4年で7店舗を出店

 ハードオフ浜松和知山店は、マンションの1階テナントで天井の低い55坪の店だった。好条件な物件ではなかったものの、オープン当初から軌道に乗り、月商1000万円以上を売り上げる店になった。また同社は、ハードオフに加盟後すぐにブックオフにも加盟し、1994年9月にブックオフ豊橋店をオープン。FC事業を開始してから1998年までの4年間で、ハードオフとブックオフ合わせて7店舗を出店し、リユース業への大きな転換を図った。
「リユース業の良いところは、価格決定権がこちらにあることです。中古のため仕入れ値が安く、粗利が出やすい。売上自体は家電店の頃より減りましたが、粗利率が高いため、会社を生き返らせることができました。電気屋時代の苦労から解放され、精神的にとても楽になりましたね」(名倉会長)
 2005年には名倉幸宏社長が入社し、オフハウス業態の立ち上げを行う。2005年に出店したオフハウス志都呂店は、ハードオフとの複合店で280坪あり、同社最大の店舗面積を有している。
 以降、複合型の大型店舗を積極的に展開。2014年には、同社初となるホビーオフを出店し、2017年には4業態で合計20店舗を出店するまで拡大した。
「私は同じハードオフ加盟店であるゼロエミッションで、現場の経験を積ませてもらってから当社に入社しました。私が立ち上げを任されたハードオフ・オフハウス志都呂店は、現在合わせて月商約1200万円で、当社で一番売上の高い店舗となっています。私は入社してから複合型の大型店舗の出店を精力的に行ってきました。物件が見つからず出店までの期間が3年ほど空く時期もありましたが、物件さえ見つかれば、立て続けに出店することもありました。2023年に社長に就任して以降も、出店には意欲的に取り組んでいます。不動産屋さんには、100坪未満から300坪以上まで、幅広い居抜き物件の情報をもらえるようにお願いしています。今後も出店可能なエリアで良い物件とのご縁があれば、どんどん増店をしていきたいと思っています」(名倉社長)

本部の関係と今後の展開

ジーの利益を優先する本部 近年は「2世会」通じ、理念を共有

 ハードオフグループ初のFC加盟企業となり、以来、増店し続けている同社。今でも本部との関係は極めて良好だという。
「ハードオフの魅力は、経営理念が確立され、方針や指針が実行されていることだと思います。創業者の山本会長から『理念を共有できる方たちとやりたいです』との言葉をいただき、その想いに応えたいという気持ちで店舗展開をしてきました。経営危機を共に乗り越えてきた仲間意識もあり、大きな信頼関係を構築できているように思います」(名倉会長)
「我々が当たり前だと思っているハードオフ本部との関係は、他のFC事業を展開する方たちから、とても羨ましがられています。当社も他業態のFCに加盟したことがあるので分かるのですが、ザーがジーに対して利益を求め始めると、良い関係は続きません。しかし、世の中の多くのザーとジーの関係が、利益を求める関係になっていると思います。その中でハードオフ本部は、ジーの利益のことをよく考えてくれており、本当に良いFC本部とご縁があったと感謝しています。ザーとジーの双方にブランドを盛り上げるという意志を強く感じており、今後も当社ではその意識を強く持って、ハードオフ全体に貢献していきたいです」(名倉社長)
 ハードオフグループでは、FC加盟企業同士で交流が盛んに行われていることも特徴だ。新店舗がオープンする際は、ほかの加盟企業が応援に来るという習わしが出来上がっているという。これほど加盟店同士の交流が自由に行われているFCは珍しく、名倉社長はその点についても大きな魅力に感じているという。
「最近はハードオフ2世会という、2世同士の交流会を盛んに行っています。私は飲みたがりのため(笑)、定期的に参加して情報交換をしています。ハードオフという繋がりで仲間意識が強く、お互い切磋琢磨できる関係性であることが非常にありがたいです」(名倉社長)

出店の好機を見据えて 人材の教育に注力

 同社は3月28日に、ブックオフ湖西店を移転という形で、複合店をグランドオープンした。ブックオフ、ハードオフ、ホビーオフの3業態の大型複合店である。同店はブックオフ単独店として20年の運営実績があり、すでに認知度が高いため、複合型にすることでより大きな集客ができると期待値は高い。ほかにも単独店舗で複合化できそうな店舗があり、今後は複合化も積極的に狙っていく方針だ。
「本部はもともと商圏人口を10万人と設定していましたが、最近は5万人への変更を検討し始めています。そのため、最近はより田舎の方への出店も意識するようになりました。良い物件と巡り会った際にいつでも出店できるよう、近年は人材の充足と教育に注力しています。私が入社した約20年前から新卒採用を始め、以降毎年欠かさず新卒が入社しています。コロナの初年度もたくさんの企業が新卒採用を中止する中で、当社はあえて継続。結果、その年は当社の歴史の中で、一番多くの新卒が入社してくれました。その時に採用した社員が、現在それぞれ現場で活躍してくれているため、コロナ下でも採用を控えなくて良かったと心から思っています」(名倉社長)
 現在、同社には正社員が40名以上在籍しており、そのうち半数以上が社歴10年を超える。20代と40代が多く在籍しており、理想的な年代層になったという。また、ここ10年で正社員の女性比率が高まっており、新卒入社の女性比率が5割を超す年もある。
「ここ数年、とにかく新卒は丁寧に育てようと、研修の充実化を図っています。FC本部への研修参加はもちろん、自社でも研修を定期的に実施。業務内容の研修だけではなく、たとえばお金の使い方や給料の明細の見方などの内容を取り入れています。手取りの数字のみで会社の良し悪しを判断をしてしまう人たちもいるため、給料から何が引かれているのか、控除とはどういったものかということを教えているのです。また今の時代、飲み会でお酒を注ぎに行く必要はありませんが、注ぎ方を知らないことは良くないことだと思うので、注ぎ方を教えることも。そういった一般常識から指導して、育てていくことを意識しているのです。基本的に、正社員になる人たちには店長を目指してほしいと考えており、人それぞれの成長の形で、店長になれるようなキャリアプランを用意しています。教育に注力し、店長を育て、新店舗を出す。このサイクルを繰り返し、私の代で100年企業を達成したいと思っています」(名倉社長)

会社概要
浜松ホーエー
代表者 名倉幸宏
所在地 静岡県浜松市
設 立 1963年
資本金 2500万円
年 商 11億円
事業内容
(2024年2月期実績)浜松市・豊橋市を中心としたリユースショップフランチャイズ事業
ハードオフ/ブックオフ/オフハウス/ホビ ーオフ

名倉 哲郎会長(74)
なぐら・てつろう
1950年、浜松市生まれ。中央大学商学部を卒業後、四日市関西電波工業株式会社(現:株式会社ギガス)に入社。1977年に日光電波株式会社(元:浜松ホーエー株式会社)に入社し、79年に代表取締役社長に就任。2023年に代表取締役会長に就任、現在に至る。

 

 

 

名倉 幸宏社長(47)
なぐら・ゆきひろ
1977年、浜松市生まれ。専門学校を卒業後、社業とは異なる職種に従事。2003年の結婚を機に、社業を継ぐ決意を固める。その後、ハードオフのフランチャイジーである株式会社ゼロエミッションに修行のため入社。05年に自社新店舗の立ち上げに合わせ、浜松ホーエー株式会社に入社。23年に代表取締役社長に就任。現在に至る。

 

 

 

 

 

 

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