【前編】会社倒産の危機から88店・77億円の企業に/サンパーク

直営出店と海外展開を経てFC本部に転身



サンパーク

大阪府吹田市

髙木健社長CEO(62)



関西を地盤に外食事業を展開するサンパークは、メガフランチャイジーの中でも異色の存在だ。同社は数多の加盟店が失敗する自社業態の開発にも果敢に挑戦し、現在はFC加盟する57店に加え、31店の自社業態を展開。また出店場所も国内だけではなく海外へと積極的に展開させ、自社業態で15店、FC加盟では20店が海外で出店する。いち加盟店の枠組みを大きく飛び越えることで年商77億円を突破した同社は、次なる野望としてFC本部であることを据え置く。変化の連続を経て成長してきた同社55年の変遷を辿った。

聞き手:本誌編集長中村裕幸

(ビジネスチャンス2022年2月号「メガフランチャイジー半世紀」より)


髙木健社長CEO(62)

Profile◉たかぎ・けん

1959年5月、兵庫県神戸市生まれ。慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、丸井に入社。2年間の勤務後、ホテル業界に転職。最終的には120人を束ねる副支配人に。31歳の時に、縁あって株式会社サンパークを引継ぐ。平成9年5月に代表取締役就任。飲食店のフランチャイズ経営やラーメンやカフェなどのオリジナル飲食店舗の国内外展開、アミューズメント施設、フィットネス経営など展開している。

 

サンパークの前身は、1966年に髙木健社長の義父が設立したサン石油に遡る。同社は工場に重油を納める燃料事業を行っていたが、その後ガソリンスタンドの経営から発想を得てドライブインレストランを出店。大阪万博景気の波に乗り、1970年には現在のサンパークに社名を改称。外食事業に本格参入した。その後も年に渡って飲食店を5〜6店舗運営していたが、大手ファミリーレストランチェーンの台頭で次第にジリ貧に。髙木氏が同社に入社した時は、まさにそのどん底の時だった。


 

入社した時はすでに債務超過


―髙木社長が入社された1991年当時、サンパークの外食事業はかなり苦境に立たされていた状態だと伺いました。

髙木 当時は私も結婚したばかりの頃でしたが、70を過ぎた義父は事業も赤字だから会社を畳もうとしていました。ただ、「自分はもうやれんが、もしやる気があるならやってみるかい?」と声を掛けられまして。31歳で企画室長の肩書で迎え入れていただいたのですが、入ってびっくりしたのは大赤字で(笑)。厳しいのは聞いていましたが、ここまでヤバいとは…。債務超過で資金繰りも大変な状況でしたが、ここで潰れたら「二代目が潰した」と言われてしまいますから。


―キャリアのスタートとしては、なかなかのものですね(笑)。まずどこから手を付けていったのですか。

髙木 待ったなしの状況ですから、これは何とかせなあかんと。幸い、僕は学生時代に飲食のアルバイトを中心に40カ所ぐらいやっており、入社前はホテルマンとして働いていました。そのため飲食も多少は分かるし、サービス業の視点も分かる。とりあえず店に入りながら色々見ていったのですが、職人に支配されている世界でした。お客さんに対しては「俺の料理が食われへんのか!」、スタッフに対しても「お前ら持っていけ!」みたいな感じだったので、スタッフもお客さんを見ずに料理長ばかり見て仕事をしている。そんな雰囲気でしたから良くなるはずはありません。まずはこれを打開しなければならないと思いましたが、人も辞めているので時間もない。そこでフランチャイズビジネスしかないと思ったのです。


―FCに参入したのは髙木社長が入社した翌年の1992年。加盟したのは当時全国的に有名となっていた「洋麺屋ピエトロ」ですが、ピエトロさんはフランチャイズを積極的に募集しているイメージがありません。

髙木 当時はフランチャイズの公募を一切してなく、フランチャイジーも九州の方でちょっといた程度だったので、FC展開は消極的だったのだと思います。そのため、私たちも何回も断られました。ただそれでも最初に食べた「ナスとひき肉のスパゲッティ」という看板メニューの衝撃が忘れられなくて、何回も頭を下げて加盟したいと。そしてやっとのことで「ピエトロ千里中央店」を出店しました。この場所は主婦層が多いので、昼の業態が受けると思っていましたが、オープンからいきなり朝から晩まで行列が続き、48坪の店で最盛期は月商2000万円。利益も月に600万円は出ました。これがあったから今があるとつくづく実感しています。




 



間髪入れず新ブランドに加盟



ピエトロの成功で窮地を脱した同社は、間髪入れずに新たなFCに着手する。現在でも10店舗展開し、売上の柱となっている「びっくりドンキー」だ。主婦層を狙い、ピンポイントの立地での出店で成功を収めたピエトロとは異なり、同ブランドを選定したのは〝価格〞という違った側面だ。





―びっくりドンキーを出店したのはピエトロ出店と同年の1992年。投資額の大きいブランドへの加盟はかなりチャレンジングだったのでは。

髙木 これからデフレに向かうことが分かっていましたから、そうなると安いもんしか売れません。うちで展開していたレストランサンパークは客単価も高めで2000円くらい。そんなの馴染みませんし、一回売れんようになったら、もう元に戻らない訳ですから。その点、衝撃的に安かったのがびっくりドンキーでした。レギュラーバーグディッシュで当時490円、客単価も810円ほどでした。それでいてボリュームもあり、商品も安心・安全が担保され、店内の雰囲気もいい。これは流行らないわけないわと。



―以前取材した京都の元廣(※びっくりドンキー・丸源ラーメンのメガフランチャイジー)さんは、御社の前年にびっくりドンキーを出店していますが、当初は暗に加盟を断られていたとおっしゃっていました。その点、御社はすんなりいったのでしょうか。

髙木 いや、うちも最初は断られました(笑)。何で断られたかと言いますと、我々の体力の問題です。最低でも3店舗はやってもらわないと困るということで、財務体質の部分で断られたのです。しかし、たまたま本部のアレフのFC開発部長が自分の大学の先輩だったことが分かり、その伝手でつながり、本部の役員会で「大丈夫やから」と推してくれたのです。その結果、無事に店舗をオープンすることができたのですが、この千里店も月商で約2500万円、利益は500万円を記録しました。


―フランチャイズに加盟することで息を吹き返し、その後もこの2ブランドをどんどん出店していきますが、一方で2005年には「お好み焼&茹上げ焼そば感動たぬき」といった自社業態の開発も手掛けています。

髙木 実はそれ以前にもシュークリーム専門店を自社で手掛けたことがあり、非常に流行ったのですが、こだわり過ぎて利益がでないという(笑)。感動たぬきに関しては、お好み焼きや焼きそばといった日常食。スパゲッティやハンバーグ、ラーメンにしても、当社で手掛けているものは全部そうです。


日常食として人気が根強い「感動たぬき」

―奇をてらった業態には手を出さない。

髙木 客単価が高すぎるものはやらない。唯一の例外としてコース懐石の八起庵(水炊き・鶏吹き・鴨吹き)というブランドを2019年に買収しました。こちらは客単価が8000円から1万円と高額ですが、これは親子丼や鴨南蛮うどんといったキラーコンテンツがあるからです。先ほど日常的に食べられる業態と申しましたが、こうした業態はたくさんあり、見方によっては競争も激しい。しかし、だからこそマーケットもあるわけで、そのマーケットの1%でも取れたら莫大な金額になる。また鶏肉に関しては世界中で食べられていますから、極端に言えば75億人の人口が対象となる。八起庵については、セカンドブランドとして「HACHIKI」という親子丼と鴨南蛮の専門店を開発し、今は新大阪でやっています。


―FCで成功しているのであれば、リソースを自社業態に割かずに集中して出店していった方が効率的では。

髙木 フランチャイズビジネスというのは、資金調達力と人材育成能力、立地開発力の3つさえあればローリスク・ミドルリターンで絶対に成功するビジネスです。ですからあまり考えなくていいから、我々にとっては楽なんです。ただその一方で、ジーはロイヤリティを払っているので本部費を極力削る。しかし出店がどんどん広がっていくと、スタッフのキャリアが詰まってしまうという問題が起こってくるのです。「僕はいつまで店長やるんだろう」みたいにです。それでいいんかと。事業意欲もありますし、彼らを活かすことも考えなければならない。商品開発や立地開発などもしていかないとこの先はないなと思ったのです。


 

FCによる出店と自社業態の開発を積極的に行っていった髙木氏だが、年商30億円の壁を突破することがなかなかできず、10年ほど浮き沈みを繰り返していた。そんな同社の転機となったのが、既存FC店の撤退に絡む業態転換。その後12店舗まで拡大する「丸源ラーメン」との出会いだ。

 

月200万の赤字が600万の黒字に



―御社で手掛ける88店の内、10店舗クラスの出店となるのは3ブランドだけです。2009年に初出店した丸源ラーメンもその一つですね。

髙木 当時、ピエトロが既に6店舗になっていたのですが、その内の1店である「ピエトロ泉北店」というお店の売上がどんどん下がってきて、月商が300万円に対して赤字が200万円。これはもう撤退すべきだと思ったのですが、郊外型の一戸建てで立地は良い。そこで何か業態を変えようと探していたのですが、ある日、知人のフランチャイジーさんの結婚式に出た時に、隣に座っていたのが元廣さんやった(笑)。



―元廣さんは一時期丸源ラーメンで苦戦しましたが、本部が「肉そば」を開発したことがきっかけで一気に大繁盛店となったエピソードがありますね。

髙木 この前に会ったときは、「丸源あかんわ、もう辞めるわ」と言うてはったのに、その時会ったら「最近丸源めっちゃええねん」と(笑)。肉そばが当たったと嬉しそうに言ってはったので、結婚式の帰りしな、すぐ見に行きました(笑)。そしてこれはいけると思い、その場で本部に電話して2週間後に契約。出店してみると200万の赤字が600万の黒字になったのです。そこから一気に12店舗出店し、財務体質も大財務体質も大きく変わりました。


―現在まで長く続けているブランドとしては、びっくりドンキーと丸源ラーメンだと思いますが、この2つのブランドに共通点はありますか。

髙木 直営店が繁盛していること、そしてトップの思想に共鳴できたことですね。びっくりドンキーの場合は、最初から「安心・安全」というものが根底にあって、生産者の顔が見えないものは絶対に材料として使わないという理念をお持ちです。材料に添加物や調味料を付与したり、大抵はチェーン化することで犠牲にしていかないといけない部分があると思うのですが、びっくりドンキーは本当に無添加です。

 物語コーポレーションさんについては、いわゆるモチベーションアップシステムの考えが根底にあり、我々も踏襲した上で自社のブランドにも移植したりしています。先ほど申し上げた年商30億円の壁には、離職率の高さによる人材育成の課題も含まれていた訳ですが、このように本部さんのいいところをいただけたことで、この辺から社内も一気に変わっていきました


(後編へつづく)


 

強力なFCブランドに加盟し、業績や社内環境の改善化を果たした同社は、いよいよ全国展開に踏み切る。自社業態での東京進出を目論み、出店物件の目途も付け、あとはその時を待つのみ…。だが一寸先は闇。出店直前の2011年3月に東日本大震災が起こり、計画は白紙となってしまう。しかしただで転ばないのが髙木流だ。東京での出店を諦めざるを得なくなったことを逆手に、同社では一気に海外出店を加速させる。

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