【前編】「味千拉麺」を主軸にシンガポールで上場を果たす/ジャパン・フーズ・ホールディング

日本人起業家が率いるメガフランチャイジー



ジャパン・フーズ・ホールディング

シンガポール

高橋研一CEO(66)


シンガポールを中心に、東南アジア各国で日本のフランチャイズを展開して成功した邦人起業家がいる。ジャパン・フーズ・ホールディングを率いる高橋研一氏だ。大手電機メーカー在職時に駐在していたシンガポールで、その将来性にビジネスチャンスを感じて一念発起。1997年、同国で熊本発祥の豚骨ラーメン「味千拉麺」を開店したのを皮切りに、日本で人気の外食店を次々に出店し、メガフランチャイジーへと成長。2009年2月には、シンガポール証券取引所への上場も果たした。



高橋研一CEO(66)

Profile◉たかはし・けんいち1956年1月生まれ。神奈川県平塚市出身。上智大学卒業後の1978年、パイオニアに入社し、アナログプレーヤーの設計に携わる。94年、シンガポール出向。97年、同社退社。現社を設立し、「味千拉麺」をオープン。


 

―海外でもっとも成功したラーメン店と言われている「味千拉麺」を中心に、シンガポールをはじめとする東南アジアで、日本のさまざまな外食チェーンを展開されています。

高橋 日本発祥のブランドでは他に、「大阪王将」や「麺屋武蔵」「家族亭」「金色不如帰」といったブランドも展開しています。一方で、現在は自社ブランドの開発にも積極的に取り組んでいます。全ブランドの合計店舗数は2021年12月末時点で59店舗、2021年度の年商はS$75ミリオンになります。


―高橋社長はシンガポールで起業されて成功を収められました。そもそもなぜ、シンガポールで事業を始められたのでしょうか。

高橋 私はもともと大手の電機メーカーに勤めていました。若い頃は起業なんてことはまったく考えていませんでしたが、1993年から3年間ほどシンガポールに駐在していたときに考えが変わりました。当時のシンガポールは経済的にちょうどこれからというときで、ものすごく熱気に溢れていました。働くうちに「ここで何かやったら面白んじゃないか」と感じるようになり、帰国後に会社をスパッと辞めました。まだ転職すら珍しかった時代に、会社を辞めてシンガポールで起業したわけですから、家族も含め、周りの人は相当驚いていましたね。ただ、それほど当時のシンガポールには惹き付けられるものがありました。


―シンガポールにおける日本人起業家の先駆者というわけですね。

高橋 地元に長く住んでいる日本人がやっている個人経営のレストランなどは当時からありましたが、日本からきて起業するというのはほとんどなかったと思います。私が働いていた会社も含め、大手企業の進出がようやく始まった頃でしたからね。


―現在は外食業一本ですが、起業当時は同時に他の事業も手掛けておられたと伺いました。高橋 シンガポールで働いていたときに「なんでこれがないのか」「これはあって欲しい」と思っていたものをいくつかピックアップして、その中からラーメンと日本人向けの家庭教師派遣サービスを選んで起業しました。最初は二足の草鞋(わらじ)を履いていたんです。残念ながら家庭教師派遣業の方は4年ほどで辞めてしまいました。伸びると思っていたのですが、こちらに赴任してくる日本人は、ほとんどが2年から3年で日本に帰ってしまうため、がんばって生徒数を増やしても、毎年一定数減ってしまうのです。売上はある程度は安定するものの、ほとんど伸びませんでした。それで外食事業が軌道に乗ってきたタイミングで、一つに集中しようと思って辞めました。今では良い経験になったと思っています。


―外食事業で最初に始めたのは「味千拉麺」です。海外で出店できるかどうかは別として、フランチャイズ展開しているラーメンチェーンは他にもいくつかあったと思いますが、その中でなぜ「味千拉麺」を選んだのでしょうか。

高橋 実は「味千拉麺」については最初はまったく知りませんでした。本当は日本にいた頃に食べたことがあった別の2つのラーメン店のいずれかに加盟したいと考えていました。一つは大学時代に新宿で食べた熊本発祥の「桂花ラーメン」でした。もう一つは高校時代によく食べていた神奈川県小田原市にあった醤油ラーメンのお店でした。まず「桂花ラーメン」に飛び込みで行って「フランチャイズをやらせてくれないか」と聞いてみたところ、即答で断られてしまいました。現在はFC店が何店舗かありますが、当時はやっていなかったんです。しかし、仕方なく諦めて帰ろうとしたところ、店員が「同じ熊本発祥のラーメン店で『味千拉麺』というのがある」と教えてくれました。とにかく一度食べてみたらどうかと勧められたので、東京の昭島市の店舗に行って見ました。食べてみると同じ熊本ラーメンだったこともあり、私が抱いていたイメージに近い味でした。それで重光克昭社長に会いに熊本の本社まで行き、加盟を決めました。あのとき店員が声をかけてくれていなかったら、今の私はなかったでしょう。おそらく、もう一つの醤油ラーメンをやって失敗していたはずです。


―醤油ラーメンでは駄目だったということでしょうか。

高橋 これはシンガポールで外食業を何年もやって分かったことなのですが、現地の方は日本人ほど醤油が好きではありません。むしろ苦手な方が多いです。一方で豚骨白湯の味は非常に好まれます。だから「味千拉麺」を選んで大正解だったわけです。今にして思えば、本当にラッキーでした。


―本部の重光社長にインタビューを行った際に、1号店はなかなか軌道に乗らず、苦労されたという話を聞きました。

高橋 本当に苦労しましたよ。最初の2ヶ月間は話題性も手伝って、並びが出るほど多くの方が食べに来てくれました。いわゆるオープン景気というやつです。ところがそれが終わってしばらくすると徐々に売上が減っていって、半年後にはお客様がほとんど来なくなりました。実際に売上がゼロという日もありました。


―スタートダッシュに成功したにも関わらず、なぜ1年も経たないうちに状況が一変してしまったのでしょうか。

高橋 一言で言うと、外食というビジネスを甘く見ていたということです。もともと私は料理がほとんどできなかったこともあり、一応研修は受けたものの、店を開けて以来、厨房は雇った料理人に任せきりにしていました。結果、何が起こったかというと、料理の品質がどんどんブレていってしまったのです。美味しくなければお客様は来ません。気付いたときには借金もかなり膨らんでいました。本当に危機的な状況でしたね。


―とはいえ、そこで諦めなかったことが、今の成功につながりました。

高橋 一からやり直そうと思い、いったん当時のスタッフには全員辞めてもらいました。それで改めて本部から現場指導に来てもらいました。今度は自分がちゃんとキッチンに入って、約1年半、休みなしでがんばりました。それでようやく品質が安定し、キッチンに立つようになって2年が経ったあたりから急に売り上げが伸びました。そのうち落ちるかもと思っていたのですが、結局落ちないまま、経営は軌道に乗りました。



1997年にオープンした「味千拉麺」1号店


―「味千拉麺」のシンガポールの店舗では、独自のメニューも提供しているという話を聞きました。

高橋 始めた当時はまだ、ラーメンという料理がしっかりと浸透していなかったため、我々日本人が普通だと感じるラーメンでは物足りないという方が結構いました。そこで、オリジナルの味のものも提供するようにしました。もちろん、本部に事前に報告をした上での話です。キムチを乗せたラーメンは今でも好評です。自分で作ったキムチを乗せただけのものなのですが、これが味の変化が楽しめて意外と美味しいんです。普通、フランチャイズは加盟店がオリジナルのメニューを提供することを認めたりしませんが、「味千拉麺」はかなり柔軟に対応してくれました。私が成功できた大きな要因です。本当に感謝しています。


―1号店を出店してから2年半後の2000年には、2号店を出店されました。以降、フランチャイズ、自社ブランドの両輪で順調に店舗を増やされています。

高橋 主軸はあくまでもフランチャイズだと考えています。オリジナルブランドは今あるもの以外にもいろいろ作ってきたのですが、うまくいかなくてやめたものが結構あります。



後編へつづく

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