【後編】裸一貫の創業から16年で107店舗に


一からフランチャイズを学び直す〝失われた4年間〞/リックプレイス


リックプレイス

東京都中央区

石塚信司社長(56)



メガフランチャイジーと一口に言っても、そのバックボーンは様々だ。多くの場合が事 業基盤や資本を持つ法人の新規事業として始まり、拡大させていくケースだが、中には創業からフランチャイズ一本でスタートし、メガフランチャイジーへと成り上がるケースもある。大手企業の花形営業マンからパチンコ屋の店長に転身し、フランチャイズと出会って独立したリックプレイスの石塚信司社長は、まさにその一人だ。創業16年で16業態・107店舗を出店する国内有数のメガフランチャイジーの半生を追った。 

聞き手:本誌編集長 中村 裕幸

(ビジネスチャンス12月号「メガフランチャイジー半世紀」より)


石塚信司社長(56)

Profile◉いしづか・しんじ

1964年12月、名古屋市生まれ。83年4月に明治大学経営学部に入学。87年4月にセコム株式会社へ入社し、営業職に従事。その後91年11月に、有限会社中央遊技場(現:セントラックス株式会社)へ入社。同社のパチンコ店の店長として働く傍ら、新規事業としてFC事業を立ち上げる。その後社内独立を機に、株式会社リックプレイスを2004年11月に設立。「ITTO 個別指導学院」のフランチャイジーとして展開を始め、最盛期で97校舎を展開。現在も学習塾を柱に、多業種で事業を行う。

1号店目から火を噴いた牛角ブランドは、最盛期で7店舗となる。ただその一方で、他の外食ブランドは牛角ほどのインパクトはなく、20店舗ほどを運営していたが苦労も多かった。そこに来て、本業のパチンコ店にも向かい風が吹く。当時専務と外食事業部長を兼務していた石塚氏は、本業と新規事業の建て直しに奔走しながら、改めて自身を見つめ直す。初めての挫折から独立へ



―当初は順調だった外食事業も、2004年頃から不採算店の売却を行うようになっていきました。外食事業を一旦縮小し、本業に回帰するということだったのでしょうか。

石塚 もちろん業績の悪い店舗もありましたが、店舗を売却した理由は、むしろ本業のパチンコ事業の環境が厳しくなったことが大きかった。パチンコ台の射幸性規制や広告宣伝規 制の強化などが理由ですが、今まで順調に経営できてきたものが難しくなった。そのためそれを補填するために店舗売却の交渉を行っていたのですが、外食事業もそこまで良い状況じゃない。私自身も、もうお役御免かと思っていました。


―リックプレイスを設立したのもちょうどこの時期です。

石塚 リックプレイス自体は、当初社内独立の形でできた会社です。僕が独立したいと社長に話をしたところ、社長も了承してくれて。しかも社員だからということで、資本金も1000万円の内の400万円を出していただきました。山田社長は僕のやりたいことを何でもやらせてくれた。だからそういう意味ではすごく感謝しています。私も社員がやりたいことをやらせてあげられる会社にするという、山田社長のやり方を今の会社でもやらせてもらっています。


―つまり2004年の11月に会社を設立しておきながら、従来のパチンコ店と外食事業も見るという形だったと。しかし、あえてなぜこのタイミングで起業をしたのですか。

石塚 正直、当初は全然独立しようと思っていなかったんです。なぜならパチンコ屋の役員って、やっぱり待遇がすごくいいわけです。しかも社長は僕にやりたいことを全部やらせてくれる。こんな居心地のいい環境はほかにないじゃないですか。でもそんなある日、フランジャ(※フランチャイズ専門メディア:2016年に休止)の編集長が、自社で主催しているフランチャイズクラブというオーナーの会に呼んでくれたのです。そしてそこにいた社長たちの楽しそうな表情を見て、ふと自分の小学5年生の頃の夢を思い出したのです。


―経営者たちの姿を見て、もしかしたら自分でもできるのではないかという後押しにもなったのかもしれませんね。

石塚 社長になることをチャレンジしなかったら後悔する。しかもちょうどこの頃40歳を目前に控えていたので、このタイミングで独立したいと社長にお伝えしました。そして僕は誕生月が12月ですが、結果的にその前月の11月にギリギリ設立することができました(笑)。


―会社を設立して最初に手掛けたのが、学習塾事業です。なぜ塾に着目したのですか。

石塚 これまで行っていた外食事業では、高校生や大学生といったアルバイトの教育・戦力化を行っていたわけですが、何というか自信がなかったり、少し常識に欠けていたりする子もいて。そこに対しての危機感がありました。年齢を追うごとに手がかかるのであれば、もう少し若い世代から教育するのがいいのではないかと思い、教育事業に着目したのです。


―選んだ本部は「ITTO個別指導学院」です。決定打は。

石塚 実はセコム時代に、営業として成長しないとダメだと思い購入した本が「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)でした。それを読んで私自身、生きる力やリーダーシップの重要性を感じた。ですから私自身、学習塾をやりたいというよりかは7つの習慣を子どもたちに教えたかったのです。もう少し若い年代から7つの習慣を身に付けさせられれば、もっとしっかりとリーダーシップを持った大人になり、彼らをうちのアルバイトとして採用できたら飲食事業とのシナジーにもなると当時思っていて。そしてちょうど私が独立する年にITTO個別指導学院と7つの習慣が業務提携をしたので、学習塾で起業したのです。

―1年目にいきなり2教室を出店し、翌年にはさらに2教室を出店しました。事業は順調にスタートしたようですね。

石塚 いえ、それが全然上手くいかず…。ここから失われた4年間が始まります(笑)。独立したとはいえ、私の場合は社内独立。しかも元々携わっていたパチンコやFCの方が責任が大きいので、そちらの仕事の割合が圧倒的に多かったのです。実際、当時は外食事業の店舗売却の交渉も行っていましたし、ほかにも社員の育成などにも携わっていましたから。ですから塾の方は任せっぱなしで悪くなる。外食も悪い、塾も悪いという期間は、しばらく続きました。


―学習塾の経営は何がネックになっていたのでしょうか。

石塚 生徒は集まったのですが、そのために湯水のごとく販促費を使っていた。また成績が伸びない子がいるとマンツーマンで指導し、結果人件費も膨大になっていたのです。元々のビジネスモデルが社員2名のスキームなので、広告宣伝や人件費をそれだけ使うと全然売上と経費が合わないわけです。


―ただ前職での仕事が忙しかったから、そこも任せっきりになってしまった。

石塚 それは私の責任ではありますが、まず私自身が塾を学ばなければいけない。ですからその時、同じ塾をやっているオーナーのところへ行って、頭を下げてPLを見せても らったり現場に入らせてもらったり、またうちの現場に来てもらい。そういうことをしながら1年かけて現場を少しずつ改革し、利益が出る校舎を1店舗作ってはそれをコピペするようにしていったのです。


―4年かけて4校舎を建て直しましたが、その翌年から再度出店攻勢をかけます。5年目に2校舎を取得し、さらに翌年にも2校舎取得しています。不安はなかったのでしょう か。

石塚 4年間運営して分かったのが、それまでの2名体制ではなく1名で運営し、もっとカツカツにコストをコントロールしなければ利益がでないということ。当時は4校舎で8名体制だったので、1校舎1名体制にするためにあえて増店をしていったのです。当然、社員からも反発がありました。それまでぬるま湯でやっていたわけですから、当時のナンバー2からは、「そんなことをしたら全社員辞めちゃいますよ」と言われましたし。確かに苦しかったですよ。それこそ自分の保険を売って社員の給料を支払ったこともあります。でも僕は雇用に関しては責任があるものだと思っているので、今にいたるまで一切リストラしたことはありません。

何とか復活の糸口を探し出し、学習塾の経営も軌道に乗り始めた石塚氏。同社はその後、手を緩めるどころかむしろ急激に店舗を拡大する。設 立5年目以降の5年間で 校舎、さらにその後の5年も 校舎を出店し たのが何よりも事実を物語る。その際、急拡大するために積極的に活用し た手法が、店舗の買収。実際、現在も約8割の店舗が譲渡案件だという。


加盟の選定基準は3つの順番



―既存店の譲渡で出店をするケースは多々ありますが、ここまで特化している企業はそうありません。やはり立ち上げが早い点がメリットなのでしょうか。

石原 一つの成功モデルができたので、あとはとにかく増殖するためにコピペする。そしてそれをするなら、他社さんの不振店を立て直すのが一番早いわけです。なぜなら、他 社さんは学習塾を第二の柱としており、業績が悪くなっても人材はぬるいままの状態になっている。その点、我々は本業でやっていますから、喝の入れ方が違います。ですから買収した校舎には、まずうちがやってきた改革と同じことをやってもらう。そして人材もそれができると言った人だけを採用する。踏み絵を踏ませて、それが約束できる人しか入れない。新規事業で行う場合は本業と掛け持ちしてやっており、ちゃんと責任者を置いていないことも多い。僕は絶対新規事業との兼務はダメだと考えています。


―御社は学習塾のフランチャイジーとしてのインパクトが強いですが、一方で外食や美容、スポーツや医療福祉など業容を広めていますね。

石塚 教育事業はライフサイクルでいう成熟期を迎えてきているので、ちゃんと収益が上がっている段階で第二・第三の柱を作らないと後々苦労する。その柱を作るために業種を 広げています。その上で、当社が新規に参入する上で判断する指標が3つあります。まずそのビジネスに「社会性」があるかどうか。この社会性の中には、本部の社長がどういう考え方でフランチャイズ展開しようと考えているかもあります。そして2点目が「独自性」を持っていること。これはビジネスモデルがどこと競合していて、その上でどう渡り合えているかという優位性、差別化がされているというものです。そして最後がしっかり 収益も出るという「経済性」。この3つが大事なのですが、さらに重要なのはこの社会性・独自性・経済性 という順番で判断していくということです。



現在、フランチャイジーとして107店舗を出店する同社。石塚氏は将来的に300店舗までの構想をイメージしているという。そのために 不可欠なのが、人材の育成だ。極力新規採用はせず、社内で手を挙げた 人材を異動させることで、組織を活性化させたいという。そのためにポ イントとなるのが、「理念の徹底」だ。

年間トップの人材に新事業の権利


―様々な事業を手掛けていると、社員のモチベーション管理や方向性の共有などが難しそうに思えますが、御社ではどのように対応していますか。

石塚 先ほど申し上げた7つの習慣にある言葉を、社内の共通言語にしています。今うちは4つのカンパニーに分かれているのですが、それぞれの拠点長は元々教育事業からの出 身者です。教育事業部であれば、7つの習慣についての認識も染み透っているわけですから。


―そうなると、新規事業は教育事業部から派生する形になりますね。

石塚 当社では毎年、教育事業部内の年間ナンバーワン社員を決める投票を行っています。これは年間の重要指標についてクリアすること、かつ上長の推薦があることでノミネートができ、その後「全社員プレゼン」で教育事業部の社員全員が投票し、決定します。

昨対比の売上や生徒数、客単価や他者に対しての貢献度などを点数化して評価します。そしてそこでナンバーワンになった社員だけにやりたい事業に対する権利が付与され、そ の後その事業が上手くいったら、エリアカンパニーの代表になることができます。


―しっかりと教育し、生え抜きの人材を活性化させることで今後の会社の成長を担ってもらうと。

石塚 将来的には300店舗まで出店できるとは思っています。僕はフランチャイジーとしてずっ100店舗にこだわってきました。100店舗あると業界ではちょっと認知されてくる。そしてそれが200店舗になると、業界の中でトップクラスになれる。さらに 300店舗になれば伝説のフランチャイジーになれると。


―伝説になるぐらいの出店数を目指すということですか。

石塚 この標語にはもう一つの意味があります。それは我々自身がFC本部にもなるということです。メガフランチャイジーからエリア本部、 本部という流れをすべて一つの企業に内包する。加盟店の気持ちが理解できるフランチャイジーが本部になるのは、伝説になるのではないかと。またそうなることで、フランチャイズ業界を発展させていけるとも思っています。この目標は何としてでも達成したいですね。



スティーブン・R・コヴィーによって1996年に 出版された書籍。優れた人格の養成から成 功への法則を抽出したものを「7つの習慣」としてまとめている。

1. 主体的である

2. 終わりを思い描くことから始める

3. 最優先事項を優先する

4. Win-Winを考える

5. まず理解に徹し、そして理解される

6. シナジーを創り出す

7. 刃を研ぐ


閲覧数:36回0件のコメント