2度の不況乗り越え売上高200億円へ/クイック 和納 勉会長

クイック(大阪府大阪市)

和納 勉会長

医療や建設、自動車など専門分野での「人材サービス事業」を主軸に、採用支援サービスなどを行う「リクルーティング事業」や「情報出版事業」なども手掛けるのがクイックだ。1980年にリクルート社の広告代理業からスタートし、現在は専門職人材紹介大手に成長。同社の和納勉会長は、成長の裏側には「バブル崩壊」と「リーマンショック」の大不況で学んだ反省があると話す。(※2020年6月号 巻頭特集「コロナ不況に負けるな! リーマンショックをチャンスに変えたり男たち」より)


和納 勉会長(71)

わのう・つとむ

1949年生まれ、関西学院大学法学部卒。76年に日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)入社。80年、クイックプランニング(現クイック)を設立し、同社代表取締役社長に就任。2005年に同社グループCEO就任、19年同社代表取締役会長に就任(いずれも現任)。


―─2019年3月期のセグメント別売上高を見ると、「人材サービス事業」は6割、リクルートメディアなどを通じて顧客企業の採用支援サービスなどを行う「リクルーティング事業」は2割、「情報出版事業」と「その他」は各1割となりました。現在は看護師やMR、建築土木系の施工監理技術者などの専門職人材紹介が主力ですが、創業当時はリクルーティング事業がメインだったようですね。

和納 はい。創業前、私はリクルート社(現リクルートホールディングス)におり、そこから独立してクイックを立ち上げました。当初はリクルートの求人情報誌「B-ing」の広告代理業を手掛けていましたが、時代とともに「とらばーゆ」や「アントレ」、「フロム・エー」など取り扱うメディアも増えてまいりました。そのため、当時の売上高のほとんどが、今でいうリクルーティング事業で構成されていました。

余談になりますが、「クイック」という社名は、創業日の「9月19日」にちなみました。1980年に私がリクルートから独立する際、上司で同社の専務だった池田友之さんにご支援いただいたのですが、この日は池田さんの誕生日にあたります。池田さんからは「これからも1年に1度、必ず君たちのことを思い出すことができる」という言葉までいただくことができました。だから、今でも「9月19日」という日を大切にしています。


―─リクルーティング事業を主軸に、創業から10年間は順調に事業を拡大していますね。本拠を大阪に構えながら、1983年には名古屋支店、1986年には東京支店を開設しました。

和納 しかし、1990年代に入るとバブルが弾けました(※チャート②)。あれでずいぶん反省しましてね…。約32億円あった売上高が、1~2年でつるべ落としのようにほぼ半分にまで減少しました。倒産一歩前まで行き、削るものは全て削りました。最後、削るものが無いので創業からの役員の給与を0にして。そして、最後に融資いただいたのが当時の三菱銀行さん。これが命水になって、踏ん張れました。

当時のセグメントを見ると、売上高の95%程度がリクルート社の商品。単一事業の脆弱性を実感しました。そこで、バブル崩壊の打撃から体力が回復した1997年に事業の多角化を目指し、人材紹介やアウトソーシングサービスを開始しました(※チャート③)。

―─2000年度には連結売上高が50億円まで成長し、2001年10月にはジャスダック上場を果たしています。

和納 バブル崩壊の時は、最終的に三菱銀行さんが融資してくれたから良かったものの、何行かは貸し剥しに来ましたからね。これは辛かった。その時、おぼろげながら「間接金融よりも直接金融の方がいいのでは」と思いましたね。一旦死んだような会社ですから、再生するには「上場」を掲げたほうが、勢いが出ると思いました。でも、当時のメイン事業はまだリクルーティング事業でした。セグメント別に売上高を見ると、リクルーティング事業が8割、その他の事業が2割程度です。

―─2000年台前半から中盤にかけては海外展開も進め、2006年度まで売上高が右肩上がりとなっています。しかしサブプライム住宅ローン危機が表面化した2007~2009年度には、売上高が一気に減少しています。

和納 リーマンショックの時も厳しかったですね。しかし、バブル崩壊時より不安は無かったです。

バブルが弾けた後に辛かったのは、お金がない、そして人が辞めていく、ということ。当時は銀行も貸してくれないし、公的融資も見込めなかった。それに伴い、人もどんどん辞めていきます。一方でリーマンショック時は、上場していたため資金の余裕もあり、人もあまり辞めませんでした。

業界に目を向けると、あの時は人材サービス業界全体が打撃を負いました。特に厳しかったのは、一般職分野。ここは、紹介事業も派遣事業もどっと落ち込んだのです。一方で、専門職はそこまで落ち込まなかった。この時、「不況に強い体質を作るには、専門職分野への経営資源の投資が必要だ」と判断し、経営の舵を切りました。

当時、当社の人材紹介事業は幹部人材や営業人材などがメインでした。そこで、リーマンショック後に看護師紹介事業を立ち上げたのです(※チャート⑥)。

―─「人材サービス事業」の中には、紹介と派遣の2事業があります。うち、紹介は前期事業売上高の8割を占めました。この中で最もシェアが高いのが看護師分野です。

和納 2009年に本格化させた看護師紹介事業は、現在事業規模が国内2番手グループに位置するまで成長しました。当社が運営する看護師向けサイト「看護roo!」では、紹介情報の他に看護師用シフト管理アプリを提供したり、看護師国家試験の過去問掲載などを行ったりしています。日頃から看護師の方々に利用してもらうことで、いざ転職を考えるときに当社サービスを使って頂くよう、ブランドの浸透を図っています。看護師用シフト管理アプリは130万回ダウンロードされており、ナースだけでなくご家族も活用されています。

―─現在は医療や建設、製薬、自動車、電気、化粧品などの領域で専門職人材紹介を展開していますね。

和納 ニッチ戦略…「小が大に勝つ戦略」ですね。我々は一般職ではなく、専門職特化型になることで、ここまで来ることができました。

今回のコロナショックでも、過去の不況時に業界で起こった現象が既に起きています。しかし、景気は循環しますので、今の状況をチャンスに変えて、今後も成長し続けたいと思います。

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