イエローハットを主軸に118店舗を展開する東北の雄 震災を乗り越え、上場企業として地域に貢献/ホットマン/伊藤 信幸社長【後編】
更新日:2021年4月27日
ホットマン
宮城県仙台市
伊藤 信幸社長(71)
1975年、宮城県古川市で一軒のカー用品店が開業した。夢持つ一人の青年が作ったその店と会社は、それから半世紀の間に姿かたちを変え、今では国内有数のフランチャイジーとなった。「温かく、優しく、そして熱い人たれ」を意味するホットマンは、フランチャイズ事業を通じて地元住民のインフラになることを追求してきた企業である。伊藤信幸社長の創業から現在までを、改めて紐解いていく。
(※2021年4月号「メガフランチャイジー半 世 紀」より)
(前編はこちら)

Profile◉いとう・のぶゆき
1950年1月1日宮城県に生まれ。1968年、宮城県立小牛田農林高等学校卒業。卒業と同時に、日産プリンス宮城販売株式会社入社。1973年、ミュージックテープの販売を目的として古川ステレオパックセンター創業。1975年、株式会社ホットマンを設立し、カーコーナー「ホットマン」を開店。株式会社イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏(現在、日本を美しくする会相談役)と出逢い、1984年イエローハットグループに加盟する。
既存業態の多店舗化と新業態の出店も順調に進んでいく中で、この頃から伊藤社長の頭の中に「上場」の二文字が浮かんでくるようになった。世の中に認められる企業を作ることを目的としてきた伊藤社長にとって、この上場は是が非でも叶えたいものだった。しかし、そんな伊藤社長の前に大きな壁が立ちはだかる。2011年3月の「東日本大震災」だ。
—イエローハットの出店と新業態の出店の双方とも安定し、20店舗ほどのフランチャイジーとなりました。
伊藤 2000年に入り、数年。この頃から具体的に株式の上場を目指すようになりました。上場する目的は、社員のモチベーションを高めることが大きな理由です。先ほど申し上げたように当社は他の店舗を譲受することも多いのですが、そのような案件は基本的に業績悪化による譲渡なわけです。業績が悪くなると人のモチベーションも低下します。
そうなると仕入れ在庫も絞るようになり、お客様からしたら魅力のない売場になってしまう。こうした点を改善するためにも、社員のモチベーションを高める必要性があった。この頃に社員持株会を作ったのですが、それも社員のモチベーションを高めるためです。
—ただ一度目のトライは失敗に終わったと聞きます。何が理由だったのでしょうか。
伊藤 社内の管理システムの部分、ちょうどその頃J│SOXへの移行もあったタイミングでもあり、対応がなかなか難しいということで中断をしました。チェーン店で展開していると実は管理システムというのは本来必要ない部分。販売売上を上げていればいいわけですから。ただ嫌でも管理はきちんとやらなければいけない。会社が潰れるのは管理面がきちんとしていなくて、どこかザルになっている。それまでいっぱいチェーン店をやってその後潰れている実態を見ていると、やはり管理面がダメな気がします。
私自身もイケイケな性格なものですから、上場してある程度、株主にチェックをされながら前進していった方がいいだろうと(笑)。会社を潰したくない。上場を目指す理由はそこにもありました。
—改めて社内の体制構築を図っていた矢先、追い打ちをかけるかのように東日本大震災が発生します。それによって、御社でも既存のイエローハットの店舗を4店舗閉めざるを得なくなりました。
伊藤 減失、半壊、水没、放射能といったように、それぞれの店舗で営業が困難になりました。当時その4店舗で働いていたスタッフは50名ほどおり、最初はよその店に移ってやってもらっていました。ただ早く新しい店を作らなければいけないとも思っていたので、震災の翌月には水没した石巻店を再オープン、同時に原発の近くである福島県田村市に田村店を新規オープンしました。
—7月にも半壊した多賀城店を再オープンし、結局その年は震災後の4月以降、イエローハットだけで10店舗、他のブランドも含めると合計13店舗を出店しています。あえて大変な時期に出店を加速したのはなぜですか。
伊藤 震災を経験して改めて思ったのは、当社の基本的な考え方は地域社会のお役に立つこと。そのためにはイエローハットのようなライフラインになる店舗を作って地域社会のお役に立たなければなりません。震災の一年後に南相馬の原発にほど近い原町店を再開した理由もそこにあります。
当時は近隣の店は皆閉まっていましたが、お店を開かなければ地域住民は戻ってきませんし、雇用もできないわけですから。当社はむしろ震災後の方が出店ペースも早く、特に福島は皆が撤退する場所に店を作っていきました。
—地域社会を元気にするために出店を拡大する。言うのは簡単ですが、実際にやるとなると大変なことだと思います。
伊藤 再度上場を目指すきっかけになったのも、この震災です。何か強いアドバルーンを上げないと、前に進めないだろうなと思ったからです。上場したのはちょうど震災から3年後の2014年3月。今では社員にもたくさん株を持ってもらい、社員持株会が3番目の株主になってもらっています。
念願の上場を達成し、運営店舗数も100店舗を突破した同社。逆境でのリーダーシップを発揮したことで、社内が一枚岩になっただけでなく、かねてから強化してきた人材の成長もより確実なものとなった。フランチャイジーとして盤石な体制となった同社では、よりスケールの大きな複合型店舗での出店を強化していく。
—近年はイエローハットの隣に他のブランド店を併設する出店形態が増えてきていますが、その狙いについて教えてください。
伊藤 イエローハットではタイヤ交換などを行いますが、お客様が一番嫌がるのは待つこと。これは昔も今も変わりません。今はタイヤ交換や車検の予約制度も取り入れていますが、それでもどうしても待つ時間が発生してしまう。以前からこうした問題に対応すべくドッキング店舗を展開してきました。たとえば2008年にオープンした涌谷店は、イエローハットとTSUTAYAのドッキング店舗です。
また一昨年の9月にはイエローハットと併設する形でTSUTAYAを作り、その隣にコメダ珈琲店を作りました。そうすることでイエローハットで待っている方がTSUTAYAで本を買い、それを隣のコメダ珈琲店でコーヒーを飲みながら読んでいただける。
—時間を有効活用していただける上、御社にとってはプラスアルファの売上にもなる。
伊藤 先ほど申した涌谷店では、「ご主人がイエローハットでタイヤを買い、奥さんはTSUTAYAで本を買う」というように、集客を2つのラインで引っ張ることができるのです。
—現状は単独店での出店が多いと思いますが、今後はさらに複合型の出店が増えていく。
伊藤 2016年に出店したTSUTAYA仙台荒井店は約1000坪の土地を地主さんから借り、辺りの場所もスターバックスさんや眼鏡市場さんなどに貸しています。こうした施設は仙台市内に行けばありますが、郊外にはありません。いろんな店が入った郊外のモール化により、みんな流行っているわけです。ですから広い敷地が確保できたら、まずは自社で考える。
ただ自社のFCの場合は本部の許可の問題もありますし、近隣に同様の業態があればできません。その場合はテナントを誘致して、当社で場所を貸すという感じです。なるべくだったら単独店ではなく、複合。自社でやれない場合はどこかと手を組んで複合化の中に入っていく。これがこれからの出店のスタイルだと思います。

よりスケールの大きい事業に取り組むことで、地域貢献を進めてきた同
社。その姿勢はこのコロナ禍においても変わらない。また逆境においても
拡大を目指し続けるためには、FC本部との付き合い方も大切だと伊藤社
長は語る。
—コロナ禍でありながらも、精力的に出店をされていくようですが、当面の目標として何店舗出店したいとお考えですか。
伊藤 おぼろげながらの目標ですが、200店舗は出店したいと考えています。ただその一方で、これから5年後、10年後には店舗数だけの問題ではない時代に入ってくるとも思っていますし、特にこのコロナ禍ならなおさらです。そうなると、いかにITを駆使し、1店舗で10店舗分の商売ができるかを考えていく時代に入っていると思います。
—時代とともに自らのビジネスも変化させていく。
伊藤 小売業は変化対応業と言われますけど、我々も今日になって思うのは、やはり変化に対応してきたから。イエローハットの隣に何かを作ったり、お店の看板を別の事業に変えたりするなど、思い切ってそういうことをしてきたからだと思います。
—コロナ禍では特に、業態による明暗がはっきりしてきました。
伊藤 当社は現在、ダイソーを3店舗経営していますが、今度さらに2店舗オープンする予定です。そのうち一店舗はアパレルの店舗が撤退する店舗なのですが、撤退するときに建物を壊すとなるとお金がかかるということから、当社に話がきました。
ダイソーは今や「100円ショップ」ではなく、「ダイソー」というひとつのブランド。流行の最先端を走っているような商品も並んでいますし、商品も200円、300円、500円といったものも結構あります。このコロナ禍になって世の中が節約志向になっていますから、ぴったりの業態だと思います。

—伊藤社長がFCに加盟する理由を教えてください。
伊藤 成功事例しかやらない。これが理由です。自ら新規で何かを立ち上げるとなれば、そもそも成功するか分からない。私たちが加盟しているのは、皆成功している事例があるからです。これは裏を返せば、よほどのことがなければ失敗しない。立地も失敗するような場所を本部は許可しませんから。
あとは知名度。先ほど申したダイソーだとチラシも何も撒いていません。それでありながらさっきも行って見てきましたが、平日でも人が結構入っていました。やっぱりブランドの力はすごいですね。
—そうなるとやはり王道のブランドになりますね。
伊藤 その業界のナンバーワンと組むというのが基本的な考え方です。実際、今やっているTSUTAYAやダイソーも業界ナンバーワンです。やっぱり名の通ったブランドは本部もしっかりしており、色々とうるさい部分もあるけど、うるさいだけあって面倒見もいいですし(笑)。
—本部とも積極的に議論を重ねながら、地道に店づくりをしていくということですね。
伊藤 我々が提供する商品はFC本部の方が一生懸命作ってくれているわけですから、私たちは商品の陳列を良くして、きちんとした接客で売っていくことに一生懸命になることだと思います。
その上で、社員にもやりたいようにやらせてあげる。「こうでなきゃダメ」「これを使え」ということではなく、「どうやったら店をお客様に認めてもらえるように演出できるか」。社員が働いていて一番楽しいのは、そうしたことを自分たちで考えていることだと思うのです。
—FC本部との付き合い方は、どのような形が理想でしょうか。
伊藤 本部の立場も考えてあげるということでしょうね。こちらから「ああでもない」「こうでもない」と要求したり儲けだけを考えるのではなく、こっちも行動をとっていく。また中には「商品を買ってやるんだ」と言い方をする経営者の方もいらっしゃいますが、我々としては「ブランドを借りている」「商品を買わせていただいている」という気持ちでお付き合いしている。
そうすれば本部でも「この会社を発展させるためには、こっちも面倒見なきゃならないな」となるのです。そういった意味では、今後も一緒になって前に進んでいきたいと思っています。