【リバースリー】製造業からミスタードーナツに加盟

公開日:2025.12.30

最終更新日:2025.12.21

※以下はビジネスチャンス2026年2月号から抜粋した記事で、内容は取材時の情報です。

新たな柱は24時間無人フィットネス

 リバースリーは、京都府と滋賀県で「ミスタードーナツ」を7店舗運営。同ブランド創成期の1972年からFC事業を展開してきた。コロナ前までは苦戦を強いられた同ブランドだが、今では1店舗あたりの売上が当時の1.5倍に増大しているという。一方で、近年は迫り来る人材不足にも苦慮している。その対策として、特定技能外国人の登用や24時間無人フィットネス「Life Fit」への加盟を決断。新ブランドに関しては、出店開始から1年で3店舗まで拡大している。

祖父の加盟から3代目

 同社が「ミスタードーナツ」のFCに加盟したのは1972年。現社長の中川裕義氏の祖父である中川修氏が当時、プリント回路基盤・精密加工などを手掛ける製造業「三共製作所」を経営しており、畑違いの分野からの参入だった。当時はオイルショックで経営が上手くいかず、一方で工場にはたくさん人を抱えている状況だったという。1971年、経理担当の兄弟がダスキンに勤めていたことがきっかけとなり、修氏はミスタードーナツの第2回フランチャイズ説明会に参加。ダスキン創業者の鈴木清一氏の掲げる理念や熱意に感銘を受け、FC加盟を決意した。
「三共製作所に勤めていた私の父がミスタードーナツ事業部担当になり、叔母が店長のライセンスを取り、最初は家族ぐるみで始めたと聞いています。当社1号店の伏見店は、同ブランドの全国9号店目として開店しました」(中川裕義社長)
 三共製作所の一事業としてFCビジネスを始めて数年経ち、製造業と当時24時間営業だったミスタードーナツとでは就業規則などを合わせることが難しくなり、ドーナツ事業の分社化を決定。1979年に裕義氏の父である啓一氏がリバースリーを設立した。
 現社長の裕義氏は、22歳で同社に入社。13年間働いた後、2011年に社長に就任する。
「会社を継いだ頃はミスタードーナツを12店舗ほど運営していましたが、不採算店を閉じて利益が出ている店舗だけ残す戦略をとり、約半数まで減らしました。店舗を減らした分、その後は他ブランドのFCにも挑戦しました」(同氏)
 同社はダスキン系列の「スティック・スイーツ・ファクトリー」や同シフォンケーキ専門店「ザ・シフォン&スプーン」、「いきなり!ステーキ」などを展開したが、最終的には全て撤退している。

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同社のミスタードーナツ1号店となった「伏見店」

コロナ前後で業績が大幅変化

 そして新たに始めたFCブランドを撤退した頃、メインのミスタードーナツの運営も苦境に立たされるようになる。
 2010年代半ばまで頻繁に行われていた同ブランドの「全品100円セール」が、経営不振に追い打ちをかけた。セール時は商品が売れるが、それ以外の時期の来店数が減り、月の半分がセール期間になっていたという。同セールはダスキンの方針変更により10年ほど前に終了。その後、4~5年はブランド低迷期が続き、ミスタードーナツ全体で3年間で300店の閉店に追い込まれた。
 コロナ前まで、同ブランドの客層は40~60代がメインターゲットとなっており、若年層の来店が少なかったという。また「ついで買い」がメインの客層となるため、集客数が多いショッピングセンターや駅前では売上が見込めるものの、ロードサイドでは経営が厳しくなっていた。加えてバブル絶頂期に開店した店舗は保証金や賃料が高く、経営を圧迫していた。しかし、こうした流れがコロナ禍を機に一転する。
「コロナ禍でテイクアウトの需要が高まり、流れが変わりました。また同時に、有名なパティシエやブランド、キャラクターとコラボレートした商品をリリースするようになったことで商品の付加価値が高まり、若年層の来店が増えました」(同氏)
 このように、近年では商品力に伴う客単価上昇、そしてSNSの普及による集客性アップもあり、安定的に顧客が来店するようになった。その結果、現在の店舗売上はコロナ前に比べて1.5倍になっているという。

特定技能外国人を積極登用

ミスタードーナツで利益が出るようになった一方、その頃から同社では人員確保の課題を抱えていた。
「以前はアルバイトから社員になるスタッフもいましたが、今はなかなかそういう人はいません。ミスタードーナツはパン屋と一緒で、朝の6時過ぎから仕込みをしますので、なかなか人が集まりません。困っていたところ、ほかのFCオーナーから話を聞き、特定技能外国人の紹介サービスを知りました。現在はベトナムやミャンマー出身の7人に働いてもらっていますが、全員、非常に優秀で真面目な人材です」(同氏)
 人員が確保できるようになり、同社は今後の増店も検討できるようになった。その際にも、特定技能外国人を登用していく計画だという。

会員ビジネス加盟しリスク回避

 他方、コロナ禍以降にミスタードーナツが復調したことで、同社は並行して新規事業への進出を検討し始めた。人材確保に苦労していたため、新事業は無人のフィットネスジムやコインランドリーを検討したという。
「飲食以外の店は初めてですので最初は躊躇しましたが、最終的に『Life Fit』に加盟しました。同社は経営者も出店部隊も20代中心で若く、真面目で質問への回答もすぐに返ってくる。こういった人たちと仕事をしたいと思いました」(同氏)
 当初は物件探しに難航したものの、2024年8月、大阪府吹田市に1号店として関大前店を出店した。同店は関西大学前にあり、会員の9割以上が学生だ。開店月は学生の夏休みと重なり、しばらく会員が増えなかったが、年度が変わり学生が入れ替わる3~4月、また夏の海やプールに備えて身体づくりを始める5~6月に会員が大幅に増加した。
 1号店の好調から、同社は2025年6月に同市内で2号店となる千里丘店を出店。2号店は住宅街の中にあるものの、スーパーの隣接地という立地の良さから開店当月より1号店を超える会員数を獲得した。近くに競合も出店しているが、30日で2980円(税抜)からといった価格優位性によって、乗り換えからの会員獲得が多い。2店舗ともに、本部が提示するモデルを超える収益を出しているという。
 また、直近では11月2日に京都・西向日店をオープン、さらに12月27日には大阪吹田で山田駅前店を出店予定だ。このように、同社では当面の出店戦略をLife Fitに舵切りし、中期的にはミスタードーナツと同じ7店舗の出店を目指す。
「飲食店は月によって変動がありますが、会員ビジネスはある程度売上を先読みできるので、安心感がありますね。また、一方の事業で売上が悪い月があっても、もう一方の事業で補うことができるのでリスク回避になります」(同氏)
 同社は、5年前に掲げた年商10億円という目標を前期に達成。今後は現在加盟している2ブランドの増店、そして新しい柱となるビジネスを立ち上げ、将来的には事業ごとに分社化していく計画だ。

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直近1年ほどで3店舗を出店

会社概要
代 表者 中川 裕義
所在地 京都市西京区
設 立 1979年
売上高 10億5000万円(2025年5月期)
従業員 約300人(うち社員25人)
事業内容 「ミスタードーナツ」運営(7店舗)「LifeFit」

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(京都市西京区)
中川裕義社長(48)
Profile◉なかがわ・ひろよし
1977年1月生まれ。1997年に入社。ミスタードーナツ向日町サティ店、阪急桂駅前店にて約2年間店舗勤務をしたのち、本社勤務。社長室室長、専務取締役を経て、2011年6月に代表取締役社長に就任(現任)。

 

 

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